どうも。Yudです。
小学生の作文のようなタイトルで失礼します。
2025年ももうすぐ終わり。と思ってたが、タラタラしたたら年が明けてしまった。
一応ガジェットブログであれば「2025年買って良かったもの10選」とかが定石かもしれないが…
正直言ってコンテンツとして溢れすぎているし、結局1年の中でバズったガジェットみたいなものが多いので、被るし二番煎じ感が否めない。
(別に尖ろうとか逆張りをするわけではないが…)
というわけで、個人的な2025年の振り返りをすることにした。
2025年は個人的に変化の大きい年であった。
色々あったが、なんといっても6月末の第一子誕生。
人生観がひっくり返る…などというインドに行ったバックパッカー大学生のようなありきたりなことは言わないが、当然生活は変わったし、物事への考え方も変わった。でもその中で変わらないものもあった。
日記的な内容にはなるが、今年の自分の変化や思考を記録しておくという意味でも、ひとつ記事にしていこうと思う。
【時間の使い方、考え方】
自由時間は当たり前に減る

ありきたりだし当たり前ではあるが、時間の使い方は大きく変わった。
僕と妻は2人ともシフト制の仕事なので、お互いの休みは合ったり合わなかったり。
休みが合う日は一緒に出かけていたし、どっちかが休みの日はお互いひとりの時間があるので適度に趣味に時間を使うこともできていた。
それこそほぼ1日中ゲームに没頭したりもできたもんである。

ただし赤ん坊がいてはそうはいかない。
放っておけば死ぬ生き物が常時家にいるのだ。
絶対にどっちかが見ておかなくてはならない。
最近はある程度育児の中でもお互いが担当する部分は決まっているのでそれなりにスムーズに世話はできているものの、1日の中で自由に使える時間は半分以下になったのではなかろうか。
それに現在はまだ妻が育休中なので、今までのような1人での休みの日というものは完全になくなった。(保育園が始まればまた変わるかもだが…)
となると自分1人だけで自由に使える時間というのは子どもが生まれる前と比べると、2割くらいになったのではないかと思っている。
自由時間が減る。それはマイナスなことなのだろうか。
「時間がなくなる」のではなく「時間の使い方が洗練される」

少し前に流れてきたXのポストだったかnote記事だったか忘れたが、こんな感じの内容の文章を読んで「なるほどなぁ」と思った記憶がある。
この考え方を持って割り切りができるか、というのは「親になる」上で割と大事なんじゃないかと思う。
時間は誰しも平等で有限なリソースなので、子どもが生まれる以上その多くを子どもに持っていかれるのは当然である。
今までと同じ時間の使い方ができるわけがない。1日ゲームをする、好きなことに費やす、なんて土台無理な話だ。
そうなると自然と「無くても生活に支障がない」ものが切り捨てられていく。
それは「時間が無くなる」のではなく「時間の使い方が洗練されていく」と捉えるべきなのだ。
現代はモノや情報で溢れかえっていて、コンテンツは我々消費者の時間を死に物狂いで奪い合っている。
これほどまでに時間を潰すのに困らない時代もなかっただろう。
もちろん娯楽やリフレッシュという側面もあるものの、低品質な人生において何の役にも立たないコンテンツが溢れかえっているのも確かである。(ホントにおもんないショート動画とか)
『スマートフォンさえ触っておけば、古い小銭がピカピカになるのを眺めているだけで一日が終わるんだ。』ードンデコルテ 渡辺銀次
そんな電子ゴミに我々の時間という貴重なリソースを奪われてはいけない。(このブログが電子ゴミというツッコミはNO)
また、消費するだけのコンテンツが人生の目的となってはいけないと思う。
少し具体的な話をすると、多少課金をして娯楽としてゲームを楽しむのは全く構わないと思うが、
「課金をしてキャラを強くする」、「ガチャを引く」
等が自分の生活の中で大きな目的になってしまうのは危険ではないかという話だ。
例えば配信をする、好きなキャラのコスプレをする、などであれば自身がコンテンツを提供する側に回っているのでアリだと思うが、
そういったこともせずに資産性も何もないコンテンツをただただ消費し続けることに何か意味があるのだろうか?と思ってしまう。
そもそも、自分の一生をコンテンツを消費するためだけに費やすのはどうなのだろうか…?
「本当に自分がやりたいこと、やらなければならないこと」に重きを置いて、それ以外は嗜む程度で十分なのである。
ただそこで、「本当に自分がやりたいことってなんだ?」と考え込んでしまうかもしれない。
が、不思議なことに僕は子どもと生活していく中で、それはある程度自動的に淘汰されていくように感じている。
僕の場合はゲームやプラモデルを嗜む時間がほぼ0になった。
それこそ初めの頃は若干後ろ髪を引かれる思いもあったが、2週間も経てば別に無くてもいいかと思える状態にはなっていた。
自分にとってこれらのものが本当に必要なのであれば、どうにかして時間を作り出していただろう。
でもそうならなかったということは、僕の人生においては無くても問題なかったものだったのだ。
だが、このブログや👇の記事でも紹介しているような副業的なものは細々とだが何故か継続できている。
人間は楽な方に流れる生き物。
コンテンツを発信するのと消費するのとでは消費する方が圧倒的に楽だ。
そんな中でも自然と発信活動の方が残ったのは自分でも意外ではあるが…
意外と「自分がアウトプットしたものがお金になる」というのが面白いから続いているのかもしれない。
「何かを生み出すこと」に時間を使いたい
人生の活動のメインは「生産」にすべきである。
「消費」は娯楽とリフレッシュのための行為である。消費のみによってドーパミンを得ている状態はいささか危険。
消費は手軽にドーパミンを得られる行為なので、消費できるモノやコトが溢れた現代では、そちらに流れてしまうのは自然なことかもしれない。
買い物で買う瞬間、開封する瞬間がワクワクのピーク…なんてことは誰しも経験があるだろう。
それと比べて、何かを生産、アウトプットすることによって得られるドーパミンの方が貴重で有益だ。
それに生産するということは、それ自体がお金や資産になる可能性を持っているということだ。やらない手はない。
この時代やり方はいくらでもあるだろうが、「消費」することよりも「生産」することのほうが長い目で見ると絶対的に面白いはずなのである。
少なくとも消費も「生産のための消費」にしたいところ。
このブログも微々たる額ではあるが収入がある。
今まで発信活動なんて全くやってこなかった人間でも稼ぎを生み出すことができる。面白いし、素晴らしい時代である。
【お金の使い方】
目を逸らしたくなるけど向き合わなくてはいけないお金の話。
お金の使い方も大きく変わる。そりゃ人間が1人増えるので当たり前である。
別に大した数見られるわけでもないと思うので、少しぶっちゃけていこうかなとも思う。
みんな大好きお金の話。
収入の変化

収入に関していうと、僕も妻も普通に働けば所得税が33%になる手前くらいの年収はそれぞれある。いわゆる一番幸福度が高いと言われている年収ってやつだ。
ぶっちゃけ年齢も考えると平均よりは十分いただいている方だと思う。
現在妻が産休、育休に入り約8ヶ月ほど。
僕は1ヶ月のみの育休取得だったので収入にそこまで大きな変化はないが、妻のもらえる給付金は給料と比べると半分程度(もらえるだけありがたいが)になってしまうため、家計の収入で言うと4分の3程度になっている。
そんだけありゃ十分だろと思うかもだが、そこから人間1人世話するための費用を出さないといけなくなるので、必然的に支出は増える。
収入が減って支出は増える。辛い状況である。
実際の収入の金額だけ見れば大きく減ってはいないかもしれないが、貯金の増えるスピードが超スローになった。
まぁ生きていけないわけではないので、ぼちぼちと言った感じで。
支出の変化

支出に関しては、トータルの家計の支出で言えば実は大きな変化はない。
ただ内訳はかなり変化している。
簡単に言えば、「本当に必要な物」しか買わなくなったという感じ。
(ブログで飯を食っているならガジェットなども必要な支出だが、そういうわけでも無いので…)
その代わり、子どもに関する必要な支出は惜しみなく行っている。
安全に関する物はケチらずになるべく良い物を買うようにしている。
また長く使う物も多いので、多少金額がしても日々のストレスがたまらないような品を選ぶようにしている。
余談だけど、ベビーカーやチャイルドシート、抱っこ紐など、ある程度の値段がしてかつ使用頻度が高いものは「これで良いんじゃない?」というノリで選ぶとマジで後悔する、と思うので気をつけてほしい。
買い物の仕方も、今までは服やガジェットなど、フラッとでも良い物を見つけたら買う…みたいな買い方をしてたが、本当に必要になってからじゃないと買おうという気持ちが芽生えなくなった。
見方によってはケチくさくなったとも言えるが、これも時間と同様「お金の使い方が洗練された」と捉えるようにしようと思う。
【隣の芝は青い】

インターネットが普及した現代、幸せの定義が他人基準になってしまっている人が非常に多いと思われる。(マツコがこんなことを言っていたような…)
自分も含め、これは本当に注意しなくてはならないと思う。
「自分にとっての幸せ」とは何だろうか…
家族と楽しく過ごすこと?
たくさん稼いで高級ブランドに身を包んで高級車を乗り回すこと?
異性にモテること?
SNSを覗けば、本当か嘘かは知らんが充実して幸せそうな人生を送っている人間の投稿がたくさん出てくる。
「羨ましいなぁ」と思うかもしれないけど、自分が同じような環境になったとして、本当に幸せなのだろうか?
稼いでるように見える人だって、裏では仕事でクソほどストレスを抱えているかもしれない。
所詮他人の幸せは他人の幸せ。
自分が同じ境遇になって幸せになれるとは限らないし、他人の幸せを覗き見て自分の人生が幸せになることは無い。
『配られたカードで勝負するしかないのさ…それがどういう意味であれ。』ースヌーピー
これは僕が大好きなスヌーピーの名言。
他人の人生を覗き見るのがこれほど容易になった現代では、そっちばかりに意識がいってしまうかもしれないが、それでは自分の人生は何も変わらない。
自分の手札をよく見て、そのカードで勝負していくしかないのである。自分の環境や境遇が変われば手札も変わってくる。
その時々の手札を使って自分にとっての幸せを見つけるべきなのだ。
隣の芝は青いのは当たり前で、所詮隣の芝である。
【2026年はどうなる】
早いものが子どもが生まれて半年が経ち、2026年も環境は変化していきそうである。
現在申し込み中なのではっきりとはしないが、4月から子どもを保育園に預け、6月あたりから妻も本格的に復職できれば、と考えている。
保育園が始まれば送り迎えをしなくてはならないし、また生活は変化する。
仕事の面では大きな変化はないかもだが、4月になれば新入社員も入ってくるので教育に手を取られたりもするだろう。
2026年も何かと忙しい年になりそうである。
自由奔放な暮らしを羨ましく思う瞬間がないわけではないが、僕は僕の手札で幸せを掴み取りたいと思う。
2026年も頑張っていきましょう🎍
それでは。
